
勝部如春斎
《中尊 比丘比丘尼優婆塞優婆夷身
(三十三観音図のうち)》
茂松寺蔵
仏教絵画(仏画)は、仏教が日本に伝わった6世紀半ばから、その教えを広めるために大いに描かれてきました。仏画を専門に描く仏絵師の他、様々な絵師が活躍しましたが、江戸時代になると、幕府の推進した檀家制度によって、より仏画の需要が増し、更に多くの絵師たちが制作を手がけることになりました。仏画を描くことは江戸時代の画人たちにとって、重要な仕事の一つでした。
本展では、画人たちの描いた江戸時代の仏画を紹介します。定式に則って描かれたものがほとんどですが、作品からはそれぞれの個性も十分に感じられます。
また、勝部如春斎(かつべじょしゅんさい)の「三十三観音図」(茂松寺蔵)を、再び公開いたします。2017年に開催した「西宮の狩野派 勝部如春斎」展では、十七幅ずつ二期に分けて展示いたしましたが、このたびは全三十三幅を一堂に展観いたします。さらに、如春斎と同じく東福寺蔵の明兆(みんちょう)の作品を摸した原在中(はらざいちゅう)の「三十三観音図」(酬恩庵一休寺蔵)を併せて展示します。
これまであまり注目されることのなかった、江戸時代の仏教絵画の世界の一端を見ていただく、またとない機会となることでしょう。
<展覧会構成>
1 勝部如春斎「三十三観音図」(1763年頃)を一堂に
如春斎が妻の三回忌を期に、地元西宮の茂松庵(現・茂松寺)へ寄進した仏画です。明兆「三十三観音図」(東福寺蔵)の図様を忠実に踏襲しており、背景には狩野派ならではの水墨山水の描写がみられます。
2 原在中「三十三観音図」(1793年)を一堂に
本作には大典顕常(だいてんけんじょう)の経文があり、酬恩庵一休寺に伝わりました。明兆「三十三観音図」(東福寺蔵)の図様を踏襲しつつも、大和絵の技法を用い、色彩豊かで華やかな画面に仕上げられています。
3 狩野派の仏教絵画を中心に 白隠(はくいん)、遂翁元盧(すいおうげんろ)も
仏画は狩野派の重要な画業の一つでした。狩野探幽も多くの仏画を制作しましたが、狩野派に学んだ皇室や公家、大名家にも浸透し、彼らも信仰とともに仏画を描きました。久隅守景(くすみもりかげ)の娘、清原雪信(きよはらゆきのぶ)や後水尾天皇の皇女で狩野安信(やすのぶ)に学んだ林丘寺光子(りんきゅうじてるこ)内親王の仏画も紹介します。
4 円山四条派、大坂の仏教絵画
円山・四条派の画人たちも、仏画を制作していました。呉春(ごしゅん)や松村景文(けいぶん)の他、呉春の弟子で、その死後は仏画をもっぱら描いたことで知られる紀広成(きのひろなり)の作品全七点を展示いたします。
涅槃図
酬恩庵一休寺に伝わる原在中の「涅槃図」(寛政7年(1795年))ならびに宝永4年(1707年)の銘がある茂松寺の「涅槃図」を展示します。
池大雅、田能村竹田の観音
観音を信仰した池大雅(いけのたいが)と、田能村竹田(たのむらちくでん)の名品を紹介します。
- 主 催
- 公益財団法人 西宮市大谷記念美術館
- 後 援
- 西宮市、西宮市教育委員会